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プーチン大統領とロシア情勢の変化 (大統領になった意外過ぎる理由と高い支持率を誇った理由)

 

当記事を覗いていただき、ありがとうございます。

中島です。

 

最近、プーチン大統領と政権与党の統一ロシアの支持率が急激に低下しているというニュースが世界中に流れました。これは明らかにロシア情勢の新たな転換期と言えるでしょう。本日はプーチン氏が大統領になれた意外過ぎる理由と支持率が高かった理由を簡潔に説明します。

 

エリツィンとその一族を救った人物

 

ウラジーミル・プーチンは2000年に初めてロシア大統領に就任しました。

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(2000年の大統領就任式。後ろはエリツィン: Rupublicより)

 

ソ連が崩壊した後の新生ロシアを率いたのはボリス・エリツィン大統領でした。ズバリ、プーチンはエリツィン大統領から絶大な信頼と寵愛を受けたため、その後釜を手中に収めることができたのです。

 

1998年頃、クレムリン(ロシア大統領府)の大改修工事が行われていましたが、このときエリツィン大統領は工事に関して大規模な不正取引をしていたことがすっぱ抜かれました。

 

ロシアのスクラートフ検事総長はこの事件を明らかにしようと試みます。エリツィンは捜査の手が自分や一族に及ぶことを非常に恐れ、当時FSB(旧KGB)の長官であったプーチン氏に捜査が打ち切られるような裏工作をするように頼み込みました。

 

プーチン氏は、何と、スクラートフ氏とみられる男性が売春婦らと行為に及んでいる映像を入手し、映像分析を行い、エリツィン大統領の不正行為が訴追される前に、スクラートフ氏のスキャンダルを巷間に流布させることに成功したのです。

 

そのビデオはyou tubeで見ることができます。

www.youtube.com

 

 興味深いことに、疑惑のビデオの信憑性(本人かどうか)は最終的に証明されることはなく、スクラートフ氏はその後失脚しました。

 

プーチンは大統領になる前からその辣腕ぶりが発揮されていたのですね。

 

プーチン長官はこの事件を契機にエリツィン・ファミリーから揺るぎない信頼を勝ち得、ちょうどその頃解任された首相の後継人として指名されたのです。

 

首相後の政治

首相になった後、プーチンはチェチェン紛争を制圧し、国民の支持を得るようになります(それまではほとんど無名でした)。プリマコフというライバルもいましたが、この頃にはすでに健康に変調をきたしていたエリツィン大統領が辞職し、プーチンが同氏の"後継者"として2000年に大統領代行に就任しました。

 

そして、同年の大統領選挙で勝利して、大統領に就任しました。

 

プーチン人気の理由

 

プーチン氏は2000年に大統領に就任して以降、国民からの支持率が高かったことで有名です。同氏は「強いロシア」をスローガンに、ゴルバチョフやエリツィンの時代に失墜した国力を見事に回復させたとして称賛されました。その理由は以下の点にまとめることができるでしょう。

 

① 原油価格の上昇による経済成長(外部的要因)

② 中央集権化

③ 汚職対策

④ 税制改革と市場開放

 

 

原油価格の上昇による経済成長(外部的要因)

ロシアは原油や天然ガスなどを中心とする天然資源輸出依存型の国家ですので、当時の原油価格が高騰したことで、オイルマネーの恩恵に浴しました。税収の増加などが国内経済を刺激する要因の一つとなりました。

 

 

中央集権化

モスクワ政府の権力を強大化して地方政府を従わせるということをプーチン大統領はやりました。

 

ロシア国内ではソ連解体の混乱に乗じて、複数の地方政府が独立の動きを活発化させました。民族意識が高く、また資源が豊富な地方ほど独立の雰囲気が大きく、例えばタタール人の住むタタールスタン油田の豊富なチェチェンなどが一方的に独立を宣言したりしました。

 

エリツィン大統領は求心力が弱く、こうした地域はエリツィンへの支持と引き換えに、高度な自治などを同政権から勝ち取り、モスクワ中央政府をなめ腐っていたのです。

 

プーチンは地方の分断や独立がロシア連邦そのものの瓦解に繋がると考えているため、エリツィン時代とは一転して、中央集権化を強化していきました(この傾向は現在も続いています)。

 

例えば、

1)ロシア連邦の法律と地方政府の法律が矛盾する場合は後者の法律を改正させる

2)地方政府の知事への監督を強化する

3)大統領が知事の解任権を持つ

 

つまり、大統領の政治に従順な人が地方政府を統治するという中央集権型の政治を行い始めたのです。

 

 

 汚職対策

実はこのことは③にも関連します。エリツィン大統領は、オリガルヒと呼ばれる財界を牛耳っていた大物資本家らと癒着していました。

 

前述の通り、同大統領は求心力が弱く、ソ連崩壊後の新生ロシアであっても実は共産党が国会で多くの議席を占めていたのです。そんな状況下で次期大統領選で共産党員が当選してしまうと、ロシアはまたソ連化し兼ねません。

 

そこで、エリツィンはメディア界などを牛耳るオリガルヒらと結託して世論操作に励み、大統領選に勝利したのです。その条件として、オリガルヒらはエリツィンから国家財産をもぎとり、ますます強大化していったという経緯があります。

 

プーチンはこのオリガルヒらの"ネズミ捕り"に着手します。逮捕や財産没収などの政治家としての権力を振るい、国家に損害を与えていたオリガルヒらから次々と国有財産を取り返していきました。

 

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(石油大手ユーコス社のホドルコフスキー元社長。オリガルヒの一人で、脱税等の罪で逮捕された。ロシア政府への脅威とみなされ、プーチンににらまれたというのが大方の見方。。釈放後は海外に亡命し、国外から西側寄りの政治運動をロシアに向けて行っていると見られている。一方、ユーコス社は解体され、国有企業のロスネフチに吸収された:  ARDより)

 

 税制改革と市場開放

最後に④ですが、脱税対策や税負担軽減策などで大企業の脱税を減らし、また土地の自由売買などを通じて外国から投資を呼び込みました。

 

ソ連時代は国際社会から長く取り残されていたので、西側の最新技術導入なども経済の効率化や活発化を促しました。

 

 

まとめ

プーチン大統領は新生ロシアの初の大統領エリツィンとその一族(ファミリー)の巨大な汚職事件の訴追を阻止できたため、彼らから信頼を得ました。

 

チェチェン紛争では陣頭指揮を取って「強いロシア」を国民にアピール、自身の大統領への確固たる地歩を築いていきました。

 

2000年頃は原油価格が高騰し、ロシアにはオイルマネーが流入して経済回復の要因の一つになりました。

 

プーチン大統領はエリツィン前大統領が行った国有財産のバラマキを回収し始め、汚職対策や脱税対策、市場開放などを通じて国家再建に成功し、国民の高い支持を得ました。

 

次回は、プーチン大統領の政治方針と最近の支持率低下をロシア情勢の現状と絡めながら考察していこうと思います。ありがとうございました!