現役ロシア語講師によるロシア語勉強法

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歴史的問題作 『カラマーゾフの兄弟』のまとめ① ~壮大な世界観~

当記事を覗いていただき、ありがとうございます。

中島です。

 

ロシア文学が好きな人であれば必ず読んでいる作品と言えば、ドストエフスキー作『カラマーゾフの兄弟』でしょう。作家の最後の長編小説であり、また最高傑作であると同時に世界的な大問題作であると言っても過言ではありません。カラマーゾフを扱った劇やドラマ・映画は時代と国境を越えて数多く存在しています。それだけ、人類普遍の価値と課題を提議している小説と言えるでしょう。

 

当ブログでは、この小説を複数のシリーズに分けて私なりに考察していきたいと思います。読書感想文の一助になれば幸いです。

 

壮大なテーマ

 

『カラマーゾフの兄弟』を読んだ人の感想を読んだり聞いたりすると、この小説に対するアプローチの仕方がバラバラであるということに気付かされます。おおむね、次のようなテーマで所感を述べる人が多いです。

 

●推理小説

●親子・兄弟の愛憎

●人々の神に対する信仰

●ロシアの様々な社会問題

●複雑な人間関係

●精神的な病

 

様々な側面から論じたり、意見を述べたりすることが可能なのは、小説の世界観そのものが壮大であるからにほかなりません。

 

興味深いことに、それぞれの読者は自分の専門分野や得意な分野から解説していることが多いです。

 

例えば、精神科医のブログであれば、各々の登場人物が抱える精神的な苦痛や病気に焦点を当てて論じているといった具合です。

 

小説はどのテーマにフォーカスされても、時代を越えて高く評価されているということからして、ドストエフスキーが作家としての精緻な観察力と本質への洞察力にいかに優れていたかということが分かります。

 

「信仰」と「人間関係」

 

私個人としては、特に信仰と人間同士の複雑な関係性について多く考えさせられました。

 

信仰に関して考えれば、小説はゾシマ長老を登場させることにより、登場人物たちの信仰観(度合)や本性をさらけ出すという構造をとっていることが分かります。

 

ゾシマは小説の舞台となる町の貧しい人々の心に常に寄り添っている高徳な僧であり、無垢な民衆の精神的な支柱となっています。そして、人々の信仰を見える形にしているのが、まさしく彼の存在であるわけです。

 

なぜ死後すぐに遺体は腐り始めるのか

 

ゾシマは潔白で尊い修行を重ねてきた高僧でしたが、死後急速に遺体が腐敗し始め、死臭を漂わせる結果となってしまいました。この事実は何を語っているのでしょうか?

 

まず、期待していた事が外れ、多くの人が信仰から遠のくことになったということです。

 

民衆の多くは、先導者ゾシマの死後の香しい匂いを当然のように期待していましたが、実際はその真逆の現象が発生していまい、動揺が起きました。篤信の修行僧アリョーシャでさえも、信仰心が揺さぶられたということからして、若さゆえの未熟さが露呈しています

 

悪女グルーシェニカの信仰心

 ÐлÑÑа и ÐÑÑÑенÑка (Ðлена ÐЯÐÐÐÐ)

 (https://www.eg.ru/culture/13433/ より転載)

 

ゾシマの一件で深い傷を負ったアリョーシャを精神的に再起させたのはグルーシェニカでした。

 

当初はアリョーシャを堕落させてやろうという悪心を抱いていた性根の悪い人物ですが、ゾシマの死を突如知らされた彼女は、無意識にアリョーシャの膝から降り、十字を切ったのです。

 

つまり、グルーシェニカとは、表面上は単なる素行の悪い意地悪な売女であっても、尊いものにはそれを貴ぶべきだということを心得ており、素直に敬意を示すことのできる人物であることがわかるのです。

 

 

 このように、「ゾシマの死」は人々の本音・本性を暴露するためのイベントであると私は思っています。

 

グルーシェニカのような悪魔的な女性の中にも、こうした素直な信仰心や人の死を悼む気持ちが宿ることがあるなど、人は往々にして意外な一面を持つというのを作家は強調したかったのではないでしょうか。

 

アリョーシャとグルーシャニカの二人の関係性にも興味深いものがあります。

 

アリョーシャは恐らくグルーシェニカを堕落した女だとみなした上で普段は接していたことでしょう。しかし、偶然にもまさにこの堕落した女によって、彼自身が精神的な復活を遂げ、大きく成長していったのです。

 

この予期せぬ自体と予期せぬ相手が思想の大きな変換点の原因となるという事実も示唆に富んでいるといえるでしょう。

 

いかがでしたでしょうか。次回以降も続きを読んでいただけると光栄です。