現役ロシア語講師によるロシア語勉強法

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ブルガリアもロシア批判:「ソビエトは東欧を弾圧した」~現代も続くバルカンを巡る東西冷戦~

前回のエストニア大統領のロシア批判と並行して、ブルガリアでもロシア批判が火を噴き始めています。

 

同国首都ソフィアでは「ロシア文化会館」で東欧ナチス解放75周年記念展覧会が開催される予定ですが、ブルガリア外務省が「(第二次大戦中における)ソビエト連邦の対ナチス闘争を"ナチスからの東欧解放"とは捉えないでほしい」とロシアに抗議しました。RBKなど露の複数メディアが一斉に伝えました。

 

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同国外務省は声明の中で、

「ブルガリアは、ナチス支配で恐怖におののくヨーロッパ諸国においてソビエト連邦が果たした役割を否定しない。だが、ソビエト軍が半世紀にわたり中東欧の民族を弾圧し、(社会主義による)経済不振をもたらしたあげく、我が国を欧州全体の経済発展から隔絶したという事実は座視できない」と述べました。

 

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(ブルガリア外務省の建物: RBKより)

 

この声明に対し、在ブルガリア・ロシア大使館が反応、

「展覧会は人類全体のファシスト(ナチス)からの解放について(ソビエト)赤軍が果たした役割をブルガリア社会に伝えるための企画であり、ブルガリアの内政干渉まではしない」と反対声明を出しました。

 

ここで、第二次大戦前後のブルガリアの歴史を簡単に見ていこうと思います。

ブルガリアを含むバルカン半島ではその昔から、ロシアや英国、フランスなどの列強がそれぞれ自国の影響下に入れようと、バルカン諸国の内政に食い込んだり、スパイを送り込んだりしていました。世界大戦の前後で、半島諸国は経済的な理由などでナチス側につこうとする国、英仏側につこうとする国などに分かれて行きます。

 

当時のブルガリアといえば王国で、国王は日独伊の枢軸国側に同盟していきます。ですが、国内では弾圧されていたソ連系非合法の共産党が闘争を活発化(いわゆるパルチザン闘争)していきます。

 

国自体は独ナチスの枢軸国として第二次大戦に参戦する一方で、1944年にソ連軍の侵攻を受け、ついにはソ連側の共産主義勢力が国を掌握しました。つまり、ブルガリアの中でナチス・ファシスト VS ソビエト・コミュニストの闘争が反映されていたことになります。

 

この44年のソビエト進撃をもって、現在のロシアは「赤軍によるナチスからのブルガリア解放」と定義しているのです。ロシア側にも言い分はあります。なぜなら、ブルガリアでは上記の44年以降、ブルガリア人共和国が成立し、ディミトロフ、ジフコフ一党独裁政権の下でソ連からの支援を受けながら工業化を推進していったからです。

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(ディミトロフ首相)  

 

ソビエト連邦が終焉を迎えるまでの米ソ冷戦時代、ソ連の衛星国となっていた中東欧では西側自由主義への憧憬から、チェコやハンガリー、ポーランドなどで激しい動乱が相次いで発生していました。そのたびにブレジネフ政権はソビエト軍を派遣し、国境を越えて市民運動を鎮圧していました。そんな中、ブルガリアはソビエトの”忠犬”として振舞い、中東欧の中で最も親ソビエトだったといわれています。

 

ところで、ブルガリアには「アリョーシャの像」という巨像があります。実在したウクライナ(当時のソ連赤軍)出身の通信兵”アリョーシャ”がブルガリアの都市プロヴディフのナチスからの解放に貢献したという話から、それに感激したブルガリア人らが戦後、有志を募って建造した記念碑です。

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 (ВЕСТИ等より)

 

ですが、近年この像を巡って、露・ブルガリア間でちょっとした亀裂が生じています。ブルガリアがこの像を撤去する意向を示しているのです。実は現在まで3回ほど撤去の話が持ち上がり、その都度、プロヴディフの住民らが反対運動などを起こしたりして、棚上げ状態になっています。ロシアはブルガリア政府のこの動きに反応していて、「もともとこの像はプロヴディフ市民の意向で建てられたもの。非常に遺憾である」という声明を出しています。

 

ロシアのジャーナリスト、グリゴリー・テリノフ氏の主張によると、ブルガリアは念願のEU加盟(2007)を果たした今でも、生活水準が上がらずに欧州の中でも最貧国のままです。ブルガリア国会の中でも、ロシアとの経済的な結びつきを強化すべきであるという派閥もありますが、対露制裁のご時世で勢力は下火になっているそうです。

 

同氏によると、ブルガリア政府の「ソビエト赤軍はナチスからの解放者」という英雄思想から、「東欧の侵略者」という歴史認識の転換の背景には、欧米諸国の情報工作があります。(前回ブログ既述の)第二次世界大戦開戦記念式典では、もうすでに反ロシアの諸国同盟ができ上がっており、世界大戦の歴史認識という側面からもロシアの評価を堕としていこう、という工作があるというのです。

 

もし同氏の主張が正しいとすれば、それはバルカン半島に位置するブルガリアの辿るべき運命としか言いようがありません。なぜなら半島自体が西欧と東欧(旧共産圏)を分かつ、いわば、地政学上のつばぜり合い地帯だからです。ブルガリアと同様、セルビアもヴチッチ政権が「EUには加盟したいが、NATOには入らない」という中立的な舵取りをせまられています。ブルガリア周辺でも今後、旧東西の裏工作が活発化していきそうです。