現役ロシア語講師によるロシア語勉強法

~ロシア語ガチ勢のためのブログ~

『チェルノブイリの祈り』から考える ~続・ロシア人の国民性とは~

当記事を覗いていただき、ありがとうございます。

中島です。

 

前回の記事では、『カラマーゾフの兄弟』を通して、ロシア人の国民性とは何かを考えました。簡単におさらいすると、カラマーゾフ家の長男ドミートリとは、内に高潔さと低劣さを同時に秘めており、ソドム(悪)にもマドンナ(善)にも美を見出すことのできる、心の広い人物として描写されているということ、そしてその一見矛盾した性質が共存し、清濁を併せ呑むという姿がロシア的であるということです。

 

『チェルノブイリの祈り』

 

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(wattpadより)

 

実はこうした考えは、何もドストエフスキー独自の偏向的なロシア論ではありません。皆さんは、『Чернобыльская молитва (チェルノブイリの祈り)』という本を読んだことがありますでしょうか?2015年にノーベル文学賞を受賞したベラルーシの作家、スベトラーナ・アレクシエービッチ氏の代表作です。

 

科学的、経済的な見地からの原発論ではなく、ほとんどの章が原発事故の被害者による実体験や回想の言葉を主軸に綴られている作品です。

 

作品中に「ロシア人はいつも何か信じるものを欲している」と題された、ある歴史学者に対するインタビューが載せられているのですが、彼のロシアに対する本質的な認識が、上記のドストエフスキーのロシア論に共通するものが大きいので、紹介いたします。

 

(※インタビューを受けているこの歴史学者はどうやらベラルーシ人のようですが、ソ連という国で生まれ育ったので、"ロシア人"という広い範囲で語っています。そもそもベラルーシでは、自分たちのアイデンティティが本当にあるのか、それとも民族的にロシアの一部であるのかという議論も存在するほどです。)

 

 

 

① Поезжайте куда угодно, ну, например, в Кижи, и что вы услышите, о чем с гордостью воскликнет любой экскурсовод? Что этот храм построен топором да ещё без единого гвоздя! Вместо того, чтобы построить хорошую дорогу, подкуём блоху. Колёса телеги утопают в грязи, зато держим жар-птицу в руках.

 

① 例えば、キジ島に行ってみなさい。現地のガイドたちは口を揃えて何を自慢するか?そこの教会が斧一つで建てられ、しかも釘を一本も使っていないという自慢でしょう。一本くらい整備された道路を敷けばいいのに、そんな神業ばかり披露しているんです。車輪が泥に埋まっている現実を前にして、夢だけは大きいんです。

 

② Второе… Я думаю… Да! Это расплата за быструю индустриализацию после революции. После Октября… За скачок. Опять же на Западе – прядильный, мануфактурный век… Машина и человек двигались, менялись вместе. Формировалось технологическое сознание, мышление.

 

② そして、そうそう!これはロシア革命後の急激な工業化と躍進の報いを受けているということなんです。西欧では紡績産業の時代、機械と人間はともに進化し、技術に関する認識なり思考なりが正しく形成されていきました。

 

③ А у нас? Что у нашего мужика в его собственном дворе, кроме рук? До сих пор! Топор, коса, нож – и все. На этом весь его мир держится. Ну, ещё лопата. 

 

③ ところがロシアはどうでしょうか?わが国の男たちは両手の他に何を持ち合わせているでしょうか? 斧、鎌、ナイフ、これだけですよ、今に至るまで!これらだけでわが国の世界観は成り立っているんです。まあ、あとはシャベルくらいですか。

 

 (中略)④ Среди тех, кто работал на Чернобыльской станции много деревенских людей. Днём они на реакторе, а вечером – на своих огородах или у родителей в соседней деревне, где картошку ещё сажают лопатой, навоз разбрасывают вилами… Выкапывают урожай тоже вручную… Их сознание существовало в этих двух перепадах, в двух временах – каменном и атомном. В двух эпохах.

 

④ チェルノブイリ原発に勤めていた人の中には、農村から来た人も多かったです。昼は原子炉で作業していても、帰宅するなりシャベルや熊手に持ち替えて、自分の庭の菜園や親元でジャガイモを植えたり、堆肥をかき混ぜたりしていたんです。収穫も手作業でした。彼らの意識は、この二つの時代に存在していたんです。石器時代と原子力の時代に。何というギャップでしょう。

 

⑤ Человек постоянно как маятник качался. Представьте себе железную дорогу, проложенную блистательными инженерами-путейцами, мчится поезд, но на месте машинистов – вчерашние извозчики. Кучера. Это судьба России путешествовать в двух культурах. Между атомом и лопатой. 

 

⑤ 人々はまるで振り子のように常に揺れていたんです。想像してみて下さい、立派な鉄道技師たちが敷いた線路を ーー そこを汽車が疾走していきます。でも、運転席に座っているのは、昨日まで荷馬車の御者だった人ですよこれこそロシアの運命、ふたつの文化のあいだを彷徨う運命なんです、原子力とシャベルのあいだをね。

 

いかがでしたでしょうか。私には、この一節が作品全体から抽出されたエキスのように思われます。

 

頭では理解できない。

 

人類で初めて宇宙空間に出たのはソ連人でしたが、一方で、原発事故の処理作業をシャツ一枚で行っていたのも、同じソ連人でした。

 

これは私の体験談ですが、モスクワに短期留学していた頃、中年女性の太った地理の先生が毎回の授業で「ロシア連邦の国土が世界一広いのは、ロシア人の心の広さを表している」と決まって 言っていました。

 

心が広いとは、何も寛容であるということではなく、あらゆる性質がない交ぜになったまま、国家や民族を形成しているということかもしれません。

 

ロシアの詩人フョードル・チュッチェフのある詩に、

Умом Россию не понять. 

という有名な一文が含まれています。「ロシアは頭では理解できない」という意味ですが、この国の不可思議さがなかなか解せないのは、まさにドミトリーのもつ心の広さであったり、原子力とシャベルの二重の文化の併存があったりするからではないでしょうか。