現役ロシア語講師によるロシア語勉強法

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歴史的問題作『カラマーゾフの兄弟』のまとめ③ ~ロシア人の国民性とは~

当記事を覗いていただき、ありがとうございます。

中島です。

 

皆さんは、ロシア人に対してどのようなイメージを持っていますでしょうか?一番多い意見といえば、やはりウォッカが大好きという印象ではないでしょうか。あるいは、しかめっ面をしている、ドライな性格、声が大きいと答える人もいるかもしれません。

 

ロシア人と一口に言ってもロシアは、東西南北、気候から言葉、食文化まで全く異なる地域や民族を包含しているので、多民族国家(многонациональная страна)と呼ばれます。

 

本題のカラマーゾフの兄弟の話に入る前に、食文化について少々私の体験談を話します。

 

馬肉の食文化

 

私の故郷である熊本県は馬肉の産地です。馬刺しや馬肉の燻製などが有名です。2年前に熊本地震を経験した時、避難先であるロシア人の女性と知り合いになりました。その人はロシア人女性に多い典型的なベジタリアンでしたが、熊本に住み始めたころから馬肉の食文化を野蛮だと思っていたそうです。「バシキールみたい」と言っていました。

 

バシキール人とは、ロシア連邦内の西南に位置するバシコルトスタン共和国に主に居住する民族の一つです。もともとは遊牧民であったため、馬や羊などの食文化を現代でも色濃く残す民族です。

 

しかしながら、モスクワやペテルブルクなどのスラブ系の多い地域では、馬肉食をタブーとする習慣があるようです。

 

もう10年ほど前のことですが、EU内で流通する食肉の中に馬肉が混入しているというニュースがロシア国内でも話題になりました。馬肉には人間の健康を害する物質が含まれているという理由でした。

 

ロシアの大きな都市には、フランス系など西欧発の大手小売り業界が進出しているので、当時は関係当局による流通経路の調査などを伝えるニュースがラジオで流れていました。同じロシア国内でも、スラブ系とバシキール人などの遊牧系民族の食に対する大きな認識の違いを感じずにはいられませんでした。

 

小説の中に隠されている答え

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さて、食文化に関する余談が長くなってしまいましたが、小説『カラマーゾフの兄弟』から、私たちはロシア人の国民性の一端を垣間見ることができます。私は、それを一言でいうと、「清濁を併せ呑む」だと考えています。そしてこの言葉に最も沿うようにして生きている登場人物はドミートリだと思っています。

 

小説の第三編の三 ~熱烈な心の告白-詩によせて~ において、ドミートリはアリョーシャに向かって次のような告白をします。

 

心にすでにソドムの理想をいだく人間が、マドンナの理想をも否定せず、その理想に心を燃やす、それも本当に、清純な青年時代のように、本当に心を燃やすことだ。いや、人間は広いよ、広すぎるくらいだ、俺ならもっと縮めたいね (原 卓也訳)

 

 ここで彼は、ソドムとはグルーシェニカのことで、マドンナとはカチェリーナのことを指しています。

 

次に第十二編の六 ~検事論告。性格描写 ~ において、このドミートリの人格を客観的に的確に表現するシーンが登場します。イッポリート検事が論告で、ドミートリという男の人格を熱っぽく描写するシーンがそれです。

 

 

 最初の場合に彼が心底から高潔だったのであり、第二の場合には同じように心底から卑劣だったということであります。これはなぜか?ほかでもありません、彼が広大なカラマーゾフ的天性の持主だったからであり

― わたしの言いたいのは、まさにこの点なのですが、
ありとあらゆる矛盾を併呑して、頭上にひろがる高邁な理想の深淵と、眼下にひらけるきわめて低劣な悪臭ふんぷんたる堕落の深淵とを、両方いっぺんに見つめることができるからであります。

 

また、同じ論告に

 

二つの深淵を同時に見ること、これがなければ彼は不幸であり、満足できず、彼の存在は不十分なものとなるのです。彼は広大です、母なるロシアと同じように広大であり、すべてを収容し、すべてと仲よくやってゆけるのであります!

 

とドミートリの性質を抽象化してロシアそのものに対象を拡大しているのがわかります。

 

まとめると、ソドム(悪)とマドンナ(善)の理想、高潔と卑劣が単に対立構造となっているのではなく、二つの相反する性質が共存しているというのがドミートリという人間で、それがロシア的である、ということではないでしょうか。

 

このことに関連し、『ドストエフスキー人物事典』(中村健之介著)では、ドミートリという人物を紹介する文脈で、ドストエフスキーの求める美とは、善と悪、正と負など、二つに峻別するような西欧的な思考ではなく、あらゆるものが生命活動に融合していき、生命の保存を共助しうるという、非分断的で、ロシアの自然に近い美しさ(要約)

だと説明されています。

 

いかがでしたでしょうか。

 

ロシア人の国民性と言っても、民族ごとに大きく異なっているだろうし、またその性質を一括りにまとめ上げることはできないでしょう。しかしながら、少なくともロシアの大文豪であるドストエフスキーは、一見矛盾するような性質であっても、それらがうまく溶け合って調和しているのがロシアであり、『カラマーゾフの兄弟』ではその性質を反映する役としてドミートリが充てられているのではないでしょうか。